おいしいものは、脂肪と糖でできている。

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おいしいものは、脂肪と糖でできている。」は、日本コカ・コーラの「からだすこやか茶W」のコピーで、コピー ライターは藤本宗将さんだ(この連載で現在進行形の案件を取り上げさせてもらうのは初のことだ)。「からだすこやか茶W」はいわゆるトクホ(特定保健用食 品)で、具体的な健康面での改善を謳うことはできないが、科学的な根拠を持つ効果は明記できる。この場合、「脂肪の吸収を抑え、糖の吸収をおだやかにす る」ということだ。つまりトクホの目的は、その根拠となる法律と同じく健康を増進することである。藤本さんも「ダイエットよりも摂取栄養の適正化」と言っ ていた。しかし我々体型に悩みを持つ消費者は、どうしてもその広告をダイエットの文脈で受けとめる。ある時、ぼくのゼミ生がこの広告のことを話しかけてき た。「あのコマーシャル、お寿司屋さんとかラーメン屋さんからクレーム来ないんですかね」。ぼくは頭の中でその質問を反芻しながら、「そんなことないと思 うよ」と答える。メッセージとうまそうな寿司、パスタ、ピザ、お好み焼き、ラーメン、お弁当のヴィジュアルからは、「食べるな」とは読めなかった。それど ころか「食え」と言っている。広告は基本的に、消費者の「不足」を論点とすることで成り立っている。「100」に達しない状況である。ところが余剰という 概念は、もちろん「100」を超えたところにある。それを広告のネタ、つまり企業の収益の現場としているものは、ぼくには「環境」と「ダイエット」しか思 い浮かばない。両者共に、消費者に何も禁止しない。ただ、他の方法を提案している。「地球環境は大切です、でもクルマには乗りましょう、こんな解決策で」 「環境負荷は減らしましょう、でもこの種の製品は使いましょう、こんな解決策で」そして「お寿司も、ラーメンも、お好み焼きも食べましょうよ、この解決策 で」である。「おいしいものは、脂肪と糖でできている。」の真のダイナミズムは、実にこの「欲望の肯定」にあると思 う。「食べたい」という欲望を認めながら、「ダイエットしたい」という欲望も叶えようとするのだ。その欲望の肯定が、実に心地よい。「からだすこやか茶 W」の競合製品である「サントリー黒烏龍茶」のテレビコマーシャルでも、ミランダ・カーがためらうことなくうまそうなものを食っている。

余剰のないところにはダイエットという概念はない、と先に書いた。幸福な余剰が生まれた昭和のある時期から、ダイエットはブームにもなった。紅茶キ ノコ、ルームランナー、ぶら下がり健康器から、最近の記憶では耳つぼ、ビリーズブートキャンプ、ロングブレス、レコーディング、プチ断食、低糖質、加圧ト レーニング…。そのすべては多かれ少なかれ商売を前提としている。プロモートしているのは広告である。広告全体が推し進めた(おいしいもの買って→食べて →より便利に生活して→運動の労苦を減らして→カラダのサイズが気になって)という余剰の状況を、広告はもういちどマーケット化しているのである。考えて みれば、何ともしたたかなことである。広告が欲望を煽ることに眉をひそめる向きもあろう。しかし欲望が露わな世の中は、ある意味健全である。欲望がない、 もしくは欲望が抑圧された社会になど暮らせるものか。


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