「日本の広告費」の歴史から、時代の変化を考える

この記事は「電通報」に開催されているものをまとめたものです。

「広告は時代を映す鏡である」

電通は1947 (昭和22)年から「日本の広告費」を推計し発表してきました。この数字はメディアに投下された広告費を集計したもので、以来広告市場の変遷を追ってきたと言えます。広告費自体は「名目GDP」(※1)との相関が高いことがわかっており、つまり景気の動向と密接な関係があります。(図1)

情報メディア白書#3_図表01
※1 = 名目GDP
各年に生産された財・サービスの生産数量に市場価格を掛け合わせて算出されるGDPのこと。物価の変動による影響を取り除いて算出されたGDPは「実質GDP」と呼ばれる。

1947年は国全体が疲弊し戦争の爪痕が色濃く残る混乱期でしたが、戦後復興期を経て急速に景気が回復していくことで人々の生活が豊かになり、それと歩調を合わせるように広告費が伸び続けました。

政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言したのは1956年ですが、前年の1955年のGDPが戦前の水準を上回ったことに依拠しての言葉です。広告費も1955年には1947年に比べて40倍を超える伸びをみせています。このように「日本の広告費」もまた時代を映す鏡と言えるでしょう。

低成長時代、さまざまな経済危機を超えて〜さらなるデジタル化の進展〜

情報メディア白書#3_図表06

2000年12月にBSデジタル放送が開始され、放送のデジタル時代が始まりました。同時にキー局がBS放送に参入し、本格的な広告展開が始まりました。

2001年の衛星メディア関連広告費は471億円、前年比177.1%と跳ね上がりBS放送への期待がうかがわれました。2003年には東阪名地区で地上波のデジタル放送が始まり、2010年には日経新聞電子版が創刊されるなど、メディアのデジタル化が進展します。同時に、マスメディア広告費は減少へと転じていくことになります。

2000年代に入り、2002年のITバブル崩壊、2008年のリーマンショックを発端とする世界的な不況、2011年の東日本大震災、2020年からのコロナ禍など、市場経済の変動が広告費に与える影響は大きなものになりました。ただし、推計対象の変更や拡大を行っている前提ではあるものの、インターネット広告費だけはプラス成長を続けており、2022年の「日本の広告費」過去最高額更新に大きく寄与しました。広告費全体に占める割合は4割を超えています。

ここまで

最近の20年間のメディアの変わりようはすごいね。感覚的にあと20年もしたら、新聞、雑誌、ラジオはなくなるのかな?インターネットの世界が色々なものを飲み込んでいっている感じ。時代の流れを読みそこなうと、大変なりそうだね。